1本のワインを贈り物に仕立てて欲しい。
特に、ご両親や目上の方にプレゼントされる場合に、きちんとした体裁にしたいというご要望をよくいただきます。
そんなときに活躍する、常時、用意している木箱です。
ぜひ、ご活用ください。

先日行われました、シャンパーニュG.H.MUMM(マム)のテイスティングセミナーの様子をご報告いたします。
ワイン・コンシェルジュのメールマガジンでご案内したところ、
「マムの上級キュヴェなど5種を、話題のシェフのフィンガーフードと楽しむ」内容で、参加費なんと5,000円というリーズナブルさが好評で、沢山の方にご参加いただきました。
フランスより醸造責任者が来日し、直接テイスティングコメントを聞きながら、会は進んで行きます。
G.H.MUMM(マム)社のシャンパーニュと言えば、F1グランプリの表彰台で行われるシャンパンファイトや、名画「カサブランカ」でハンフリー・ボガートの「君の瞳に乾杯」で使われるシャンパーニュとしても有名です。
資料に「1911年(明治44年)に日本皇室御用達シャンパンの称号を得る」とあるように、日本での知名度も充分。
ニースでミシュランの星を持つ松嶋啓介シェフがアレンジしたフィンガーフードは、シャンパーニュとの相性が考えられおり、しっかりとした味わい。
「地産地消」のフレンチをポシリーとされており、「みょうが」など和の食材もアクセントを加えているのが面白いところ。
特に、マム・ロゼと合わせたサーモンが素晴らかったです。ラルドで包んだ中にオレンジが忍ばせてあり、オレンジのニュアンスとロゼのフルーティな果実味が抜群のマリアージュとなっていました。

お客様が喜ばれたのは、シャンパーニュをどんどんおかわりさせてもらえること!。

ほぼ、「飲み放題」状態となり、皆様口々に「参加費が、安すぎますよね」とニコニコされていました。
また、スペシャルなイベントの案内が来ましたら、ご紹介させていただきます。

メールマガジンで、カリフォルニアワインがフランスワインにテイスティングで勝った「パリ対決」をご紹介いたしました。
このブログでは、裏話を少し追加しましょう。
この対決を主催した人は、アカデミー・デュ・ヴァンの創立者としても有名なスティーヴン・スパリュア氏。
実は、彼は「カリフォルニアワインを勝たせようとしてこの企画をしたのではなかった」のです。曰く、
「カリフォルニアワインが勝つとはまったく思っていませんでしたし、正直そうなってほしいとも思っていませんでした。
そうですね、2位から4位ぐらいにカリフォルニアワインが入る、それぐらいでいいと考えていました。
(中略)
ムートンやオー・ブリオンといったワインを選んだのは、カリフォルニアワインが、まかり間違っても勝たないようにするためでした」
/アカデミー・デュ・ヴァンHP ~世界を変えたワイン・テイスティング - パリ対決~ より
彼の目的は、「ほとんど知られていないアメリカにも、なかなか良いワインがあるんだね」という認知を得るだけでよかったのです。
彼が商売をしていたのはフランスで、品揃えの大半はフランスワインだったのですから。
そして、審査員は全員フランス人で、伝統のあるレストラン関係者、著名なワイン関係者ばかりを揃えました。
それが、ブラインドで「カリフォルニアワインのほうが美味しい」という結果になったのだから、さあ大変。
2位となったムートン・ロートシルトのオーナー、フィリップ・ド・ロートシルト男爵は、審査員の一人に電話をかけ、
「私のワインになんて事をしたんだ。一級昇格に40年もかかったんだぞ」
と怒鳴ったといいます。
ワインの世界に下克上が起き、ワイン勢力地図が動き始めた。
それが、1976年パリ対決です。
————-以下、【ワイン・コンシェルジュ】メールマガジン 2010/01/14より————-
カリフォルニアワインといえば、「パリ対決」の話が欠かせません。
1976年にフランスワインとカリフォルニアワインの比較試飲会がパリで行われ、銘柄を隠した試飲の結果、赤も白もカリフォルニアワインが1位に選ばれ、カリフォルニアワインが世界最高級ワインの仲間入りをするきっかけとなりました。
審査員はすべてフランス人で、ロマネ・コンティのオーナーを始めとする有名醸造家やトゥール・ダルジャンのソムリエ、タイユヴァンの経営者なども含まれており、彼らは帰国後たいへんな非難を浴びたそうです。
フランス側から「フランスワインは複雑なのでその真価を発揮するためには十分な熟成期間が必要である」とクレームがつき、同じワインを10年間熟成させて、再度比較試飲会を行った結果、なんと、またカリフォルニアワインが1位になってしまったという後日談まで付きました。
結果として、世界各地で「フランスを超えるワインを生産しよう」という機運が高まり、世界の高品質ワインビジネスが拡大したことからわかるように、まさに、「その時、歴史が動いた」日となったのです。